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剛腕死去 K-1黄金期惜しむ声

ささやかながら動きはないわけではない。

 そんなベルドナルドさんの死亡が報道された。



 2011年3月の大震災も影響した。

 「K-1」の創始者で興行ライセンスを持つ正道会館宗師の石井和義さんが、11年11月に「国際K-1連盟(FIKA)」を設立すると発表。毎年行われているファイナル「K-1 WGP」を中国・南京で11年10月29日に開催するとしていたが、これも中止に追い込まれ、「K-1が消滅」と書き立てるメディアまで出た。しかし、「K-1」を運営していたFEGが経営不振となり11年の興行は国内選手の試合が1回だけで、テレビからも姿を消した。

 「K-1」はもう無くなってしまったのか。中国の投資会社の支援を受け香港に拠点を構えるというのだ。アンディ・フグ、アーネスト・ホースト、ピーター・アーツといった人気選手と共に90年代後半から00年代途中までの黄金期を支えた一人。

 公式ホームページにはライト級、ミドル級、ヘビー級の試合を組み、12年4月までには国別代表トーナメントを行うと記載されている。石井さんは03年に脱税事件で「K-1」の運営から手を引いたが、FEGの不振によりFEGに与えていた独占興行権を剥奪し、「FIKA」でカムバックし興行を再開させると言う。興行日程が二転三転し、資金調達も滞った。

■ 11年の興行は国内選手の試合が1回だけ

 ベルドナルドさんは南アフリカ共和国出身で、95年に初来日して「K-1」に参戦。

 2000年にボクシングWBFの世界ヘビー級王座を獲得後「K-1」と距離を置くが、急性白血病で急死したアンディ・フグが「自分の代わりにベルドナルドに戦って欲しい」と語ったことを知り、全てのボクシングのスケジュールを投げ打って「K-1」に復帰、06年まで現役を続けた。そんなファンが書いた掲示板のコメントで目立っているのは、

  「ベルドナルドが活躍していた頃のK-1の黄金期がもう一度見たい」

というもの。キックボクシング、空手など立ち技系格闘技最強を決める大会「K-1」のトップスターだったマイク・ベルナルドさん(42)の死亡が2012年2月15日に報道された。ライバルだったジェロム・レ・バンナ選手との死闘は今でも語り継がれている。

 ファン達は悲しみに包まれるなか、ベルドナルドさんが活躍した「K-1」の黄金期を思い出し「あの熱い戦いをもう一度見たい」と切望している。実現すればファンにとって待ちに待った「K-1」の再スタートとなるのだが、その後の経過報告などは何もなく、本当に計画が進んでいるのか何もわかっていない。

 ネットには早すぎる死を悼む書き込みが溢れ、ベルドナルドさんの試合の様子がアップされている「ユーチューブ」の動画を見ては悲しみに浸っている。日本のバラエティー番組やCMにも登場し、「切れてな〜い!」というお茶目なセリフでも有名だった。選手に支払うギャラは高額だったが、支払いが滞り1億円近い未払いがあると訴える選手も出た。しかし、2011年は運営会社FEGの経営不振で興行が打てず、もう「K-1」を見ることは出来ない、といった悲痛な声もネット上に出ている。「K-1」で活躍したレイ・セフォー選手や、ベルドナルドさんの弟子たちが「ツイッター」や「フェイスブック」を使って公表したもので、自殺との見方もあるが真相は分からない。

■石井元館長が「K-1連盟」を新たに設立?

 全盛期はゴールデンタイムでの放送権料は推定2億円、大晦日は9億円と言われていたが、ゴールデンタイム枠が減り深夜に移行した。不振に陥ったのは「K-1」人気の低迷だった。


デパート「屋上遊園地」の今



 日本百貨店協会によれば、百貨店の屋上の使い道について特に調査したことがないという。さらにはゲームセンターや本格的なテーマパークなど他のアミューズメント施設の台頭などに押され、徐々に姿を消していった。改装後の屋上の使い道は「まだ計画中」だという。

  「個人的な考えだけど、『屋上遊園地ならではの良さ』を、殺伐としたときだからこそみんな求めていると思う。

■松坂屋上野店は「常連」に支えられる

 一方で、松坂屋上野店の「屋上遊園」を運営する加藤工業の齋藤睦さんは、「ここ最近、むしろ客足は伸びている」と話す。

 関西でも半世紀にわたって親しまれた京都高島屋が2012年1月、屋上遊園地から撤退した。戦後に入ると全国の百貨店に広がった。ゲームのハイテクさだけが全てじゃない。

 ところが、70年代に入ってデパート火災が相次ぎ、消防法の改正で屋上利用の規制が厳しくなった。親や祖父母に連れられた子どもたち以外にも、クレーンゲーム目当てのマニア層や、憩いの場を求める年配客なども弁当片手に訪れる。50年代から60年代にかけては、デパートの屋上には必ず自動木馬やさまざまな遊戯装置が並ぶ遊園地があって人気だった。こんなときだからこそやるべきではないか」と、震災の2日後から一貫して営業を続けてきた。

 2010年5月、「元祖」の松屋浅草では業績不振などを理由に4階以上のフロアの営業を打ち切り、それに伴い屋上の遊園地も閉鎖された。世の流れには逆行しているようだけど……絶対つぶしませんよ」



  「地元密着型の上野松坂屋では『子どものころから来ている』という年配客も多く、昔ながらの屋上遊園地を必要としてくれている。

 休日の来園者はのべ200〜300人。店もサービス券を配るなど運営に積極的で、それが他店と違い今まで続けてこられた要因では」

■不安な時代、「懐かしの遊具」が結構人気に

 屋上遊園には現在、「木馬」「ミニ鉄道」「バッテリーカー」といったおなじみのコイン式遊具のほか、メダルゲーム、クレーンゲームなど全部で102台が設置されている。訪れた人からは「開いててよかった」とほっとする声が聞かれ、来園者数も前年を上回る月が続いた。いまや都心では松坂屋上野店、京王百貨店新宿店など数か所を残すのみだ。利用客の減少や施設の老朽化などが原因だと報じられている。

 「昭和」の懐かしい記憶が残るレトロな遊具……。かつてはデパートにつきものだった「屋上遊園地」を、最近めっきり見なくなった。

■「元祖」の松屋浅草も閉鎖

 現在のような形の「屋上遊園地」の第一号は、松屋浅草の屋上に1931年作られた「スポーツランド」とされる。震災後の不安な時期、昔ながらの屋上遊園地という存在に人々が心の癒しを求めたのでは、と齋藤さんは語り、その将来に期待をのぞかせる。売り上げは決して大きいわけではないが、齋藤さんによれば「力強い常連客」がその運営を支えてくれているという。「ディスプレーが付いているわけでもなく、ただ揺れるだけですが、今も子どもたちには結構人気がありますね」。

 「昭和」の名残とも言える貴重な遊戯施設は、このまま消えていくのか。東急百貨店東横店の「プレイランド」も建て替えによる東館取り壊しのため、2013年度いっぱいで営業を終えることが決まっている。

 震災後は「電力の無駄遣い」などと苦情の電話もあったというが、「子どもを楽しませるために電気を使っているんだ。「昭和36年製造」のシールが貼られた大ベテランもある。実際には、緑地やペットショップ、園芸用品店、スポーツクラブなどに転用するケースが多いようだ。


「ドコモwebメール」終了へ





 サービスは2年前の2010年4月にスタートしたが、スマートフォンの普及などネット市場が変化している中、経営資源を集中するため終了するとしている。

 iモード契約者に専用のメールアドレス(○○@dwmail.jp)を無料提供し、iモードメールを自動保存するといったことが可能だった。

 3月13日午前11時に新規申し込み受け付けを終了する。ユーザーが送受信したメールデータの保存方法などは6月上旬に告知するとしている。NTTドコモは3月5日、iモード端末とPCから利用できるWebメールサービス「ドコモwebメール」を8月27日午前11時で終了すると発表した。

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